
CRMという言葉をご存知でしょうか。もともとはCockpit Resource Management(コックピット・リソース・マネジメント)と呼ばれていましたが、現在ではCrew Resource Management(クルー・リソース・マネジメント)という呼び方が一般的です。
航空業界で生まれた概念ですが、実は様々な現場で応用できる非常に重要な考え方なのです。
この概念が生まれた背景には、航空機事故の教訓があります。
例えば、クルー全員が電球交換に集中してしまい、高度が下がっていることに誰も気づかずに墜落してしまった事例など、複数の人がいるにもかかわらず、リソースの配分がうまくいかなかったために起きた事故が実際に存在します。

CRMとは、航空機の運航において、クルーの人的資源を効果的に配分・活用するための考え方と実践方法です。
人間の注意力には限界があり、同時に複数の情報を処理することは困難です。これは脳の処理容量の問題で、感覚器官としては多くの情報を取得できても、似たような内容を同時に処理することはできないという特性があります。
しかし、複数のクルーで運航する航空機であれば、この限界を補うことができます。例えば、パイロットが2人、かつてはさらに航空機関士も乗っていた時代には3人で運航していました。
この複数のクルーが同時に同じことをやってしまうのは非常にもったいない。せっかく複数の人がいるのですから、例えば誰かが操縦に集中している間、もう1人が周辺環境を監視するというように役割を分担することで、1人では実現できない、より高いレベルの安全を実現できるのです。

航空機は時間的切迫性が非常に高い乗り物です。高速で飛行しており、しかも停止することができません。
車は止まれますが、飛行機は止まると落ちてしまいます。さらに飛行できる時間も燃料がある間だけという時間的制約があります。
このような状況下では、限られた時間の中で資源を最大限有効活用し、特にトラブルが起きた時には無事に着陸するまで対処しなければなりません。しかも外からの支援は得られません。
飛行中の航空機に乗り込むことはできませんから、基本的には中にいる人たちだけで対処するしかないのです。
だからこそ、誰が何をやるかという役割分担を事前にしっかりと決め、それぞれのリソースをうまく配分していくことが重要になります。航空業界ではかなり古くからこの訓練を実施してきました。
ただし、CRMがうまく機能するためには、「心理的安全性」とセットでなければなりません。
CRMの概念が生まれた頃にはまだ「心理的安全性」という言葉はありませんでしたが、実際には密接に関わっていたのです。
例えば、機長が何かに集中して作業をしている時、階級の違いや威圧感から他のクルーが問題を指摘できないという状況が事故の原因になったこともありました。
高圧的な態度で「お前、これやっとけ」と指示されるような状況では、「ここで問題が起きているのですが」「あなたの作業が間違っているかもしれません」といったことは非常に言い出しづらくなります。
せっかく複数の人がいても、このような状況ではCRMは機能しないのです。

CRMは航空業界に限らず、様々な現場で応用できる概念です。
時間的切迫性が高い仕事は他にもたくさんあります。手術中の医療チーム、電車の車掌と運転士の分業、工場での作業分担など、多くの現場で活用できます。
鉄道の保線作業では、電車の接近を警戒する人と実際に作業する人に役割を分けています。これもCRMと同じ考え方です。
さらに、リソースマネジメントという考え方を広く捉えると、同時進行していないタスクでも効果を発揮することがあります。例えば、運送業のドライバーのように1人で作業する仕事であっても、この考え方は重要です。
CRMの本質は、言い換えれば「トップが周りを信頼して、他の人にも能動的に働いてもらう」ということでもあります。
いろいろなことに注意を払ってもらい、タスクを自ら考えて実行してもらうのです。これと対照的なやり方は、トップがすべて決めて周りの人に命令してやらせるというものですが、これでは周りの人は考えなくなります。
つまり、従業員の脳を使っていないことになるわけです。これは非常にもったいないことです。

運送業のドライバーも、日々の業務の中でいろいろなことに気づいています。「ここはもっとこうしたほうがいいのではないか」といった改善案を持っていることも多いのです。
しかし、「お前は言われたことだけやっていればいい」という扱いをされている人は、そうした気づきを言ってくれなくなります。
心理的安全性の高い環境で、こうした気づきをしっかりと拾い上げることができれば、組織全体のリソースを有効活用できます。
これは安全だけでなく、生産性を上げることにも非常に有効なのです。CRMを効果的に機能させるためには、2つの要素が必要です。
1つ目は、仕組みを理解し、実際に練習して実践できるようにすることです。事前に役割分担を明確にし、それぞれが自分の役割を確実に果たせるよう訓練することが重要です。
2つ目は、心理的安全性の高い状況を確保することです。誰もが遠慮なく問題を指摘でき、間違いを報告できる環境がなければ、CRMは形だけのものになってしまいます。
人間には限界があります。1人では処理しきれないことも、複数の人が適切に役割分担をすることで対処できるようになります。
逆に言えば、せっかく複数の人がいるのに全員が同じことをやってしまうのは、リソースの無駄遣いです。
従業員を単に作業をしてもらう人として扱うのではなく、能動的に関わり、いろいろなことに気づいて考えてもらう存在として、うまくリソースをマネジメントしていく。
CRMの考え方を理解し、心理的安全性とセットで実践することで、人間の限界を補い、より高いレベルの安全を実現し、さらには良い組織を作ることができるのです。
執筆:島崎 敢 近畿大学准教授