台風のニュースで「高潮に警戒してください」という呼びかけを耳にすることがあります。しかし、大雨や暴風に比べると、高潮がどのような現象なのかを具体的にイメージできる人は少ないのではないでしょうか。
実はこの高潮、かつて日本で一度に数千人の命を奪ったことのある、非常に恐ろしい災害です。一方で、他の災害にはない大きな特徴として「事前に予測できる」という強みもあります。今回は、高潮のメカニズムと歴史、そして命を守るための考え方を整理してみたいと思います。
高潮とは、台風や発達した低気圧の影響で、海面の水位が異常に上昇する現象です。高潮を引き起こすメカニズムは、大きく2つあります。
1つ目は「吸い上げ効果」です。低気圧の中心では、空気が海面から上空へと流れています。これは、上空から巨大な掃除機で海水を吸い上げているような状態です。
周囲より気圧が低い分だけ海面が持ち上がるため、台風の中心気圧(ヘクトパスカル)の数値が小さいほど、海水を吸い上げる力は強くなります。目安として、気圧が1ヘクトパスカル下がるごとに海面は約1cm上昇するとされています。
2つ目は「吹き寄せ効果」です。強い風が長時間吹き続けると、海水が風下に押し寄せられます。お風呂の水面に強力な扇風機を当てると、水が片側に寄っていくイメージです。特に遠浅の海や湾の奥では、行き場を失った海水がどんどん積み上がっていきます。
この2つの効果が重なることで、海面が数メートルも上昇することがあるのです。
高潮の被害の大きさを左右するのは、台風の「進路」と「地形」の組み合わせです。
台風は反時計回りに渦を巻いています。このため、進行方向に向かって中心の左側の地域では、「台風自身が進む速度」と「反時計回りの風」が重なり、特に強い風が吹きます。
ここで日本の地形を思い浮かべてみてください。東京湾、相模湾、駿河湾、三河湾、伊勢湾、大阪湾、土佐湾、鹿児島湾など、日本の太平洋側には南に開いた湾が数多くあります。台風の中心がこうした湾のすぐ東側を通ると、台風の左側の猛烈な南風が湾の奥へ海水を大量に押し込み、大きな被害に直結します。さらに、もともとの潮の満ち引きである「満潮」のタイミングが重なると、最悪の事態になります。
高潮は台風の「移動」と「回転」が重なることで被害が大きくなるので,台風の中心が数kmずれるだけで、被害の様相はまったく変わります。また、台風が西から東へ移動しているときより、南から北へ移動しているときの方が、南に開いた湾への影響は大きくなります。高潮の被害には、こうした「運」の要素があるのです。
日本は過去に、高潮によって甚大な被害を繰り返し経験してきました。大正6年(1917年)の台風では東京湾で観測史上最高の高潮が発生し、死者・行方不明者は1,300人を超えました。昭和9年(1934年)の室戸台風では大阪湾で3mを超える高潮が発生し、約3,000人が犠牲になりました。昭和25年(1950年)のジェーン台風でも、500人を超える犠牲者の多くが大阪に集中しています。そして昭和34年(1959年)の伊勢湾台風では、名古屋港で観測史上最高となる3.89mの潮位を記録し、名古屋市南部を中心に広い範囲が水没、死者・行方不明者5,098人という、明治以降の台風災害として最悪の被害となりました。
伊勢湾台風を教訓に、防波堤・防潮堤・水門などの整備が全国で進み、その後は高潮による大規模な人的被害は長らく抑えられてきました。現在の気象庁の「特別警報」の潮位基準が伊勢湾台風を基準としていることからも、この災害がいかに大きな節目だったかがわかります。
しかし、脅威が去ったわけではありません。2018年の台風21号では、人的被害こそ抑えられたものの、関西空港が高潮で浸水して連絡橋にタンカーが衝突し、神戸港ではコンテナが流出するなど、甚大な物的被害が発生しました。港湾施設は構造上、高潮の影響を最も受けやすい場所です。
高潮の破壊力は、河川の洪水よりもはるかに強力で、地震の津波に匹敵します。海水の巨大な塊が防潮堤を越えて市街地に流れ込むのですから、当然です。しかも津波と違って、台風が居座っている間は海面の上昇が続くため、被害の継続時間が長引く危険性もあります。
それでは、私たちはこの脅威にどう向き合えばよいのでしょうか。鍵となるのは、高潮の最大の特徴、すなわち「予測ができること」です。
地震の津波は、発生から数分〜数十分で襲ってきます。地震発生はピンポイントで予測できないので、揺れを感じてから逃げるしかありません。一方、高潮を引き起こすのは台風です。台風の進路と勢力は、1週間前にはおおよその傾向がわかり、前日にはかなりの精度で予測できます。上陸時に台風の中心がどこを通るかは、十分な精度で予測できないかもしれませんが、高潮に襲われるリスクが非常に高くなるということは、事前にわかるのです。
つまり高潮は、逃げるための時間(リードタイム)が十分に与えられている災害です。予測ができて、時間もある。それなのに被害に遭うとすれば、それは「動かなかった」ことが原因になります。まず、自分のいる場所が高潮のリスクを持つのかどうか、ハザードマップで確認しておきましょう。そのうえで危険な区域にいるのであれば、台風が接近してからではなく、風雨が強まる前の明るいうちに、安全な場所へ移動しておくことです。行き先は指定された施設に限らず、安全な場所にある親戚や知人の家、ホテルなどでも構いません(この考え方については「避難所と避難場所」の回もご参照ください)。
数千人の命を奪うことはあるが、事前の行動で確実に被害を減らせる。高潮とは、そういう災害です。せっかく与えられているリードタイムを、無駄にしないようにしたいものです。
執筆:島崎 敢 近畿大学教授