島崎 敢の安全辞典ー項目29「奥行き知覚」

■はじめに

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距離感が測れないと駐車時に苦労する

 車庫入れや縦列駐車のとき、壁や隣の車にどのくらい近づいているか、うまくつかめないことはないでしょうか。

 

 ピタリと寄せられる人もいれば、ぶつけそうになったり、妙に離れてしまったりする人もいます。この違いを生んでいるのが「距離感」、つまり奥行きを知覚する能力です。

 

 私たちの目の奥にある網膜は、カメラのフィルムと同じ二次元の平面です。平面に映った像から、どうやって三次元の奥行き、つまり距離を割り出しているのでしょうか。

 

 実はそこには、脳による驚くほど高度な計算が隠されています。今回は、この「奥行き知覚」の仕組みと、その限界が安全にどう影響するかを見ていきます。

■奥行き知覚とは

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運動視差は電車に乗るとよくわかる

 奥行き知覚(深度知覚)とは、平面的な視覚情報から、対象物までの距離や立体感を把握する能力のことです。

 

 人間はこの能力を実現するために、複数の手がかりを組み合わせて使っています。

 

 大きく分けると、両方の目を使う「両眼性の手がかり」と、片方の目だけでも使える「単眼性の手がかり」があります。

 

 両眼性の手がかりの代表が「輻輳(ふくそう)」と「両眼視差」です。輻輳とは、近くのものを見るときに目が寄り目になる現象のことです。

 

 眼球を内側に向ける筋肉の緊張度を脳が感知して、対象物までの距離を測ります。ただし、これが有効なのはごく近い距離に限られます。

 

 一方、両眼視差は、右目と左目が約8cm離れていることを利用した仕組みです。

 

 左右の目に映る像には微妙なズレがあり、近くのものほどズレが大きく、遠くのものほどズレが小さくなります。

 

 脳はこのズレの量から距離を計算しているのです。大型免許や二種免許の取得時に行う「深視力検査」は、まさにこの両眼視差の能力を測定するものです。

 

 ただし、左右の目の間隔はわずか8cm程度しかないため、両眼視差が距離の手がかりとして有効に働くのも、やはり2〜3メートル程度までです。それ以上離れると、左右の像のズレがほとんどなくなってしまいます。

 

では、もっと遠くの 距離はどう判断しているのでしょうか。ここで活躍するのが単眼性の手がかりです。

 

 代表的なものに「大きさの恒常性」があります。これは、私たちが経験上知っている物の大きさを基準にして距離を推定する仕組みです。

 

 例えば、「車はだいたいこのくらいの大きさ」という知識があるからこそ、網膜に映る像が小さければ「遠くにある」と判断できるのです。

 

 もう一つ重要な手がかりが「運動視差」です。自分の頭が動くと、近くのものは視野の中を速く流れ、遠くのものはゆっくり動きます。

 

 電車の窓から外を見たときに、線路脇の電柱は猛スピードで後ろに流れるのに、遠くの山はほとんど動かないのと同じ原理です。

 

 このほかにも、移動中の視界全体に生じる映像の流れ(オプティカルフロー)や、大気のかすみ具合で遠近を判断する空気遠近法など、人間はさまざまな手がかりを総動員して奥行きを知覚しています。

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奥行き知覚の概念図

■安全との関わり

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二輪車との距離感を誤ってヒヤリハットする運転者

 奥行き知覚の仕組みを知ると、その限界も見えてきます。そして、その限界こそが安全上の問題を引き起こすのです。

 

 すでに述べたように、輻輳や両眼視差は2〜3メートル以内でしか有効に機能しません。

 

 運転中に数十メートル先の対向車までの距離を正確に測るのに、これらの仕組みはほとんど役に立たないということです。

 

 遠くの距離判断は「大きさの恒常性」に頼ることになりますが、これが危険な錯覚を引き起こすことがあります。

 

 典型的な例がバイクとの距離判断です。バイクは車体が小さいため、網膜に映る像も小さくなります。すると脳は「像が小さい=遠くにある」と判断してしまいがちです。

 

 実際にはすぐ近くまで来ているバイクを「まだ遠い」と誤認して右折を開始し、衝突する事故は後を絶ちません。対向車がバイクの場合は特に慎重に距離を判断する必要があります。

 

 オプティカルフローに関連した問題もあります。

 

 高速道路を長時間走行した後に一般道に降りると、速度感覚が麻痺して十分に減速できないことがあります。

 

 これは、高速走行中の速い映像の流れに脳が順応してしまい、遅い流れでは速度を過小評価してしまうためです。

■事例と実践

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首を振りながら距離感覚を掴んで駐車する運転者

 奥行き知覚の手がかりを巧みに利用している例が、意外なところにあります。それはハトです。

 

 ハトや馬のように目が顔の横についている動物は、左右の視野が重なる部分が狭いため、両眼視差をほとんど使えません。

 

 その代わり、ハトは歩くときに独特の首振りをしています。あの動きは、頭の位置を前後にずらすことで人工的に運動視差を作り出し、周囲の物までの距離を測っているのです。

 

 実際、暗闇の中でハトを歩かせる実験では、何も見えないので首振りをしなくなることが確認されています。

 

 実は、この「頭を動かして運動視差を得る」という方法は、人間にとっても有効です。

 

 先ほど述べたように、両眼視差は目の間隔がわずか8cmしかないため、近距離でも精度に限界があります。しかし、顔の位置を積極的に動かせば、それだけ大きな運動視差を得ることができます。

 

 車庫入れや合流など、近くの距離感が重要な場面では、意識的に頭の位置を変えてみることが、より確かな距離判断に役立ちます。

 

 さらにスケールを大きくすると、人類が星までの距離を測る方法も、実は視差の原理に基づいています。地球は太陽の周りを回っているため、半年経つと地球の位置が約3億km移動します。

 

 夏と冬で同じ星を観測したときの見える角度のわずかなズレ(年周視差)から、星までの距離を計算するのです。

 

 ハトが首を振るのも、天文学者が地球の公転を利用するのも、根本は同じ「視点を動かしてズレを測る」という原理です。私たちの目は、こうした複数の手がかりを統合して距離を知覚していますが、どの手がかりにも限界があります。

 

 大切なのは、「自分の目には限界がある」という認識を持つことです。

 

 小さいものは遠くに見える。高速走行後は速度感覚が変わる。こうした自分自身の知覚特性を理解した上で、過信せずに慎重な判断を心がけることが、安全の第一歩なのです。

執筆:島崎 敢 近畿大学准教授

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